【最終回】拒否したかったことを拒否するために、妻を卒業しました。

オイカワアユミ[感情の専門家/エッセイスト]

2023年夏、結婚や夫と経営していた会社、故郷、生活の基盤全てを捨てて、人生をリセットさせました。報われない自分に終止符を打ちたかったからーー。この経験が、"結婚"という正解のないチャレンジに対して、あなたが自分らしい答えを見つけるヒントになればと思い、筆をとりました。

第1回:「最高の結婚相手のはずだった。
第2回:「男女の"感覚の違い"が苦しいなら。
第3回:「夫は妻が育てるべき?私が出来なかった『夫育て五ヶ条』
第4回:「離婚する?夫を育てる?今の結婚生活をどうしたらいいか分からないあなたへ
第5回:「【離婚を決断した瞬間】報われなさを終わりにするのは誰?

最終的には、合意の上で会社の譲渡と離婚が決まり、私は東京での新生活を始めました。職無し、ツテ無しの状態からの再出発です。

母にはかなり心配されましたし、長い間、夫が稼いでくれる土台を手放したのだから、私自身にもやっぱり不安はありました。

でも、何故それが出来たかと言えば、私には人生の教訓があったからです。

無いなら、作ればいい。

27歳の頃、私は社会人の吹奏楽団でフルートを吹いていました。

そこで、楽しい仲間と出会い、久しぶりに演奏する楽しさを味わって、充実した時間を過ごしていたのだけど、ある女の子から強烈な嫉妬を受けるようになりました。

それがあまりにも感情剝き出しで、練習に支障を来すほどになってしまったので、いたたまれなくなった私はやむなく楽団を退団。

完全なる逆恨みによって、せっかくの楽しい場所を奪われてしまった出来事に、最初は強い憤りを感じたのですが、それが私の節目となりました。

大袈裟に言えば、その時、私は一つの真理を掴んだのです。

無いなら、作ればいい。

楽しく演奏できる場が無いのなら、自分で作ればいい。

そう思った私はフルートサークルを発足。メンバーは私含めて3人と、規模は大分小さくなってしまったけれど、私は和気あいあいと演奏できる場を再び手にすることができました。

その時の「無いなら、作ればいい」精神が、教訓となって私の中に根付き、私は望むものが手に入らなかった時は「無いなら作ればいい」と意識を転換するようになりました。

なので、生活を再構築することに抵抗はなかったんです。

安心を、自分で作る。そのための再出発

でも、長い間「報われない」と思い続けていたことで、私はかなり自信を失くしていました。

何かにチャレンジする時って、毎回思い知らされるのですが、別に自信があってチャレンジする訳じゃないんですよね。チャレンジする必要性が出ただけで、自信が満ちて準備が整ったからチャレンジする訳ではない。

その時の私は、会社経営という悩みの種から離れての開放感はあったけれど、基本的には人間不信。その状態で何を仕事にするのか全くイメージが湧かず、こんな自分に何が出来るというの?という感じでした。

そんな中で、気づいたことがありました。

私にとって、「愛されている」と実感する元となる基礎感情は"安心"。(基礎感情については第一回参照

つまり、"安心"を感じることが何より大事なのだけれど、私は今までそれを人に与えてもらおうと頑張って、結局感じられていなかった。

ここにこそ、教訓を活かすべきなのでは?

つまり、"安心"がないなら、自分で作ればいい。そのための再出発なのだと思いました。

-内側から"安心"を作り出す方法

外側から"安心"を獲得するのではなく、自分の内側から"安心"を作り出す。

子どもの頃に十分に得られなかった"安心"を自分から感じられるように、私は自分を「育て直す」ことにしました。

でも、どうやって?

そこで活かされたのは、カラーセラピストをやっていた経験。

言葉だけではイメージしにくいことでも、色に置き換えていくと、案外簡単にイメージを掴むことができます。

感覚を育てるのに、「色」って本当に良いツールになるんです。

私が"安心"をイメージする色はターコイズブルー。

特に、海の色など、自然の中にある透明感のあるターコイズブルーに"安心"を感じます。

ハワイで見たワイマナロビーチの海の色は、本当に美しいターコイズブルーで、これまでで最も心を安らかにしてくれる風景でした。

そこで、ワイマナロビーチの写真を眺めることを日課にしたり、不安になった時は、自分の中にワイマナロビーチの光景を思い浮かべるようにしていきました。

それでも消えなかった「疑問」

そうやって自分の中に"安心"の感覚を育てていったのですが、一方で、自分の中である疑問が消えずに残っているのに気がつきました。

元夫は、一体どういうつもりで、あんなに私の気持ちを無視したのかという疑問。

私の気持ちというのは、「経営から外れたい」ということ。

それこそ新婚当初から、あんなに泣いたり怒ったりして訴えていたのに、それを無視していた彼の気持ちが分からなすぎて、"安心"の感覚の育成にストップがかかってしまったのです。

結婚している時も彼に聞いたことはありましたが、本音を教えてくれている感じがしなかった。

-元夫の本音

なので、再度、元夫本人に本音を確かめてみることにしました。

彼が言うには、私が苦しんでいるのは分かっていたけれど、思うように仕事をしたいという自分を止められなかったとのこと。

それが間違っていると途中からは薄々気づいていたものの、一旦走り出したものはどうにも止められない性分なのだそうだ。

彼としたら、それは「私を無視していた」意識ではなかったけれど、結果無視してしまっていたのは本当に悪かったと謝っていました。

それを聞いた時、やっぱり私は全力で拒否するしかなかったのだなと思いました。

彼が自分を止められなかったのなら、私はあのまま待っていても無駄だったのです。彼と一緒に居続けるには拒否したい気持ちを呑み込むしかなかった。

離婚が唯一の手段だった

私が彼に安心できなかった最大の理由はそこなんだと気づきました。

彼が私に拒否する選択肢を与えてくれなかったことと、愛が結びつかなくて、私は愛されている感じがしなかったんです。

私にとっては、そこに愛があるなら、相手に拒否する選択肢を与えないなんて考えられないこと。

これは親に対してもそうで、親が拒否する選択肢を与えてくれなかったことを、私は「愛されていない」と捉えていたのです。

私にとって離婚は、彼を否定したかった訳でも、愛情が無くなった訳でもなく、ただひらすら、拒否したいものを拒否するための手段でした。

-拒否する選択肢がある安心

私が本当に欲しかったのは、単なる"安心"ではなく、拒否する選択肢がある安心だったのだなと、改めて自分を理解できた感じがしました。

「報われなさ」を抱えている人は、本当に欲しいものを受け取ることに慣れていないのだと思います。

それは、きっと、子供の頃にそういう環境がなかったということなのだと思うけど、自分が何を欲しかったのか思い出すことができれば、今からでもそれを受け取ることは可能です。

今、自分を育てている真っ最中。

今、私は、拒否することを自分に徹底的に許し、「拒否する選択肢がある安心」を受け取れるように、自分を育てている真っ最中。

人に与えてもらいたかったことを自分で地道に与えていくって、はっきり言って虚しい。でも、夫を育てるよりは断然性に合っています。

拒否しづらいところを頑張って拒否できた時、心から自分を褒めることができる。

個人的には、「夫育て」より「自分育て」推奨です。

最後に。

さて、6回に亘って「報われなさ」を見つめてきたこのコラム、いかがだったでしょうか。

私は「報われなさ」を捨てると決めて離婚に踏み切った訳ですが、「報われなさ」を解消していくキーポイントは、視野を広げていくことにあるのだと思います。

「我慢するしかない」と思っているところに可能性を模索して、自分の選択肢を増やしてあげる。

選択肢が一つでも増えれば、視野は大分広がります。

私の経験が、このコラムを読んでくださった方の選択肢を広げる参考になれたら、こんなに嬉しいことはありません。

どうか、男も女も、「報われなさ」なんて発生しないくらい、みんなが自由に生きられる世の中になりますように。

でも、ぶつかり合って成長していくのも、人間らしくて悪くないなと思っています。