オイカワアユミ[感情の専門家/エッセイスト]
2023年夏、結婚や夫と経営していた会社、故郷、生活の基盤全てを捨てて、人生をリセットさせました。報われない自分に終止符を打ちたかったからーー。この経験が、"結婚"という正解のないチャレンジに対して、あなたが自分らしい答えを見つけるヒントになればと思い、筆をとりました。
第1回:「最高の結婚相手のはずだった。」
今なら分かる。
私は、いい妻になることで、夫からの愛を、そして〈安心〉を、獲得しようとしていた。
この獲得行動こそが「報われなさ」を生み出す原因だったのだ。
振り返れば、子供の頃〈安心〉が不足していた私にとって、〈安心〉は得がたいものという認識。
頑張って‟いい子“になって、親から〈安心〉を与えてもらおうとする。それを無意識に夫に対してもやってしまっていたのだろう。
「求めていたもの」は同じ
実は、元夫も私と同じように、〈安心〉を求め、獲得しようとしていたと思う。でも、私たちの獲得方法はそれぞれ全然違っていた。
私が彼とのコミュニケーションによって〈安心〉を得ようとしていたのに対し、彼はお金によって〈安心〉を得ようとする。お金を多く稼ぐことで、より大きな〈安心〉を得られると考えていた彼にとって、まず優先すべきは仕事。
お金を稼ぐことが自分の欲しい〈安心〉を叶え、お金によって得た〈安心〉を私に与えるのが、彼の愛し方でもあった。
信頼で結ばれている私とのコミュニケーションは、そのために少なくなっても大丈夫だと思っていたようだ。
彼は、私が苦手とする経理や雑用などの裏方仕事を、意思確認もせずにポンポン丸投げしていたのだが、それは「お金=安心=二人の幸せ」という絶対的図式が彼の中にあったから。
でも、私の方は、そのやり方だとどうしても不安になってしまう。なぜ、愛しているのに、私の気持ちを無視していられるのか、理解できなかった。コミュニケーションを取らずにお金を得ても、私の〈安心〉には繋がらない。
大きくお金を稼いでいなくても、彼にコミュニケーションを取る余裕があった恋人時代の方が幸せだった。
男女の感覚の違いって恐ろしい
彼なりの愛情があることは分かるので、もう少し私が不安にならないように、せめて外食している間くらい私との会話に集中できないものか何度か話してみた。でも、その場で「わかった、ごめんね」と言うだけで彼の行動は何も変わらなかった。
結婚している間、一度こんなふうに投げかけてみたことがある。
「知ってる?夫婦って、別れられる家族なんだよ」
さすがに危機感持つかなと思ったら、「なんてこと言うんだ」と怒られた。それどころか頭をはたかれそうになった。
夫からしたら夫婦の信頼関係を否定するような言葉で、簡単にそれを口にする私は馬鹿者だというニュアンスらしい。
そんなふうに私の問いかけを一蹴した夫だったけれど、こちらも決して簡単に口にしている訳ではない。
男女の感覚の違いって恐ろしい。
今でも、つくづくそう思う。
もしあなたが、当時の私のように、男女の感覚の違いに苦しんでいるなら、「自分が求める愛され方」と「相手の愛し方」が一致しているかを整理してみて。
一致していない場合は、それで良しと出来るかがキーポイントになる。
一致していなくても、彼なりに自分を愛しているのだと分かればOKなのか、それでは嫌なのか。嫌だった場合、より良い形になるよう関係を育むのか、別れるのか。その答えが自分自身まだ出せないのなら、出せるまでもがいてみるのか。
一度、自分の気持ちに正直になって考えてみるといいと思う。
ちなみに、あなたは男性のこの行動、可愛いと思える?
私が大好きなドラマ『きのう何食べた?』で、こんなシーンがあった。
これから観ようと思っている人には少しネタバレになってしまうのだけれど、ケンジが働く美容室のオーナー夫妻が離婚する。オーナーの度重なる浮気に奥さんの堪忍袋の緒が切れてのこと。
離婚前、オーナーはケンジのアドバイスに従って、奥さんに内緒で水回りを掃除することにしたのだけど、結局黙っていられず自分が掃除したことをアピールしてしまう。それに対して、奥さんは「そういうところ可愛いとは思うけれど、やっぱり許せなかった」とケンジに打ち明ける。
それを観た時、私は思ってしまった。「あー、私、可愛いとすら思えないな」と。
そこで可愛いと思えるなら、愛され方が一致していなくてもやっていける余地はあるかもしれない。(ドラマの中の奥さんはダメだったけれど)
「男って子供なんだよ。可愛いじゃない」とか言う包容力ある女性もいるけれど、男が子供で女が大人のポジションで固定されてしまう関係なら私はもう必要ないかなと思う。
それだと私が求める〈安心〉が得られないと分かったからだ。
ただ実際には、そのポジションが柔軟に入れ替わるのが理想だと思う。
あなたはいかがですか?
可愛いと思えても、思えなくても、それで何かを決断する訳でもないけれど、‟自分が求めること“を知っておくのはとても重要なこと。
その上で相手の考え方も知って、話し合ってみて、お互い歩み寄れるのが一番いいのだと思う。
そもそもが間違いだった
私は本当に「男女の感覚の違い」に苦しめられたと思うけれど、もっと大局的に見れば、私も、元夫も〈安心〉を獲得しようとしていたこと自体が、そもそも間違いだったのだ。
獲得するということは、「自分には〈安心〉が無い」というのが前提にある。既にそこから苦しい。そんなふうに苦しさを内包しながら、自分の外から得た〈安心〉はすぐに消えてしまうものだ。
〈安心〉も愛も獲得するものではなく、自分の内側から見出していくもの。それが出来てこそ自立なのだと思う。
お互いが自立できたら、夫婦の関係性も依存から共栄共存へと進化する。でも、そんな哲学的なこと現実にしていくのは難しい。難しく考えなくてもほっとできる関係を求めていたのにね。
なんて、私も散々悩んでもがいてきたからこそ、この記事を書いています。
〉〉第3回 「夫は妻が育てるべき?私が出来なかった『夫育て五ヶ条』」