オイカワアユミ[感情の専門家/エッセイスト]
2023年夏、結婚や夫と経営していた会社、故郷、生活の基盤全てを捨てて、人生をリセットさせました。報われない自分に終止符を打ちたかったからーー。この経験が、"結婚"という正解のないチャレンジに対して、あなたが自分らしい答えを見つけるヒントになればと思い、筆をとりました。
第1回:「最高の結婚相手のはずだった。」
第2回:「男女の"感覚の違い"が苦しいなら。」
第3回:「夫は妻が育てるべき?私が出来なかった『夫育て五ヶ条』」
第4回:「離婚する?夫を育てる?今の結婚生活をどうしたらいいか分からないあなたへ」
報われない自分を彼に委ねるのはやめよう。
私が自分の手でこの報われなさを終わりにするんだ。
そう決めた時が、私の離婚への決断を揺るぎないものにした瞬間でした。
答えを出すにはとにかく自分軸
離婚を決断する時に、一番悩むのは、どこで見切りを付けるのかというところですよね。
でも、実際のところ、決断する時って、恐ろしいくらい明確です。
「今後上手くいく可能性とか、どうでもいいから今の生活を変えたい。」
そんなふうに思うから。
とは言え、私もそこまで行くまでには大いに悩みましたし、迷いました。
当時、どんな状況であっても役に立ったのは、「この先、相手が全く変わらなかったとして、自分はどうしたいのか?」という質問。
状況を変えたいと思った時は、軸を相手に置いて考えるのではなく、自分に置いて考えるのが基本です。
自分軸の答えを出しておかないと、結婚を継続するにしても、離婚をするにしても、ずっと相手のせいにし続けてしまいます。
だから私も何度もこの質問に立ち返って、自分と向き合いました。
「夫が全く変わらなかったとして、私はどうしたいの?」
この問いかけに私が出した最初の答えは、「自分を好きになりたい」と「楽しく生きたい」でした。
ちなみに、どちらの望みも恋人時代には出来ていたこと。
これらを邪魔している最たるものは、私にとって「会社経営」でした。
夫の共同経営者として10年やりましたが、ついにこの仕事を好きにはなれず。仕事として出来ない訳ではなかったけれど、全然面白くなかった。
私は常にイライラするようになり、自分のことも人のこともどんどん嫌いになっていました。
だから、私を経営から退かせてくれと、夫には何度も訴えてきました。
-私の希望を受け入れない夫
夫は、のらりくらりと躱し(かわし)、私の希望を受け入れてはくれませんでした。
だから私は「私の希望を受け入れない夫」を受け入れて、「そこが全く変わらなかったとして、自分はどうしたいのか?」とさらに考えねばなりませんでした。
そこで考えたのが、会社を譲渡すること。
私も経営に関わることに限界を感じていたし、今の経営スタイルは夫にも合っていないように感じていたので、一度リセットさせればいいと思ったのです。
ところが、それも受け入れてはもらえませんでした。
-妻の幸せを無視する夫(に思えた)
夫が望んでいたのは、一緒に自分の仕事を盛り上げてくれるパートナー。私には、ずっと自分の仕事を支える存在でいてほしかったのです。
彼としては、「二人ならもっと大きな成功を目指すことができるはず。私には経営の才能があるのに、なぜそれをやろうとしないのか」という思いがあったよう。
でも私としてはそれが「妻の幸せを無視して成功に妄進している人」にしか思えなかった。
史上最高の報われなさに襲われる
その後、有り得ないほどのトラブルが経営で続出し、私は鬱寸前のボロボロな状態になりました。
どう見ても、"会社を手放す方が圧倒的に自然"という状態に追い込まれました。
そうなってもなお、夫は私に「経営者として一緒に戦うこと」を望んでいると分かった時、
結局、この人は私のことなんか愛していなかったんだーー
史上最高の報われなさにドカーンと襲われました。
夫が求めているのは成功だけ。そのためなら、私が苦しんでいても、私が私でなくても、彼には関係なかった。
その衝撃に溺れそうになりながらも、でも不思議なことに、一方ではこうも捉えていました。
-私も、夫の本当の望みを全然見ていなかった
振り返ってみれば、私自身も、彼に自分の理想を当てはめて、「いつかそういうふうになってくれるはず」と勝手に期待を重ねていただけ。
ありのままの彼を受け入れようとはしていなかったと、その時ありありと見せられたような感じがしたんです。
-‟夫の幸せは何か”
離婚の決断が近づいている最終段階ともなれば、いろんなものが見えてきます。
"自分の幸せは何か"を真剣に考えるのと同時に、"夫の幸せは何か"も真剣に考えるようになっていました。
「愛されていなかった」と絶望することで、私はようやく自分の期待を外して、夫の望みを真っすぐに見ることができたのです。
「自分の仕事をサポートしてくれるパートナーが欲しい」というのが彼の素直な望み。
それに私が応えられなかったとしても、彼がその望みを捨てる必要はない。だって、それが彼の幸せなのだから。そして、それは私も同じ。
それを受け止められた時に、私たちは別々の道を歩んだ方がいいのだと、心から答えを出すことができました。
最後の「あがき」、そして未来へ
答えは出たけれど、厄介なことに「報われなさ」だけはなかなか消えてくれませんでした。
「結局、私は愛されていなかった」という気持ちが時々よぎっては、「愛されていた」という証拠を夫に求めたくなる衝動に駆られる。
その頃、夫はまだまだ「仕事をサポートしてくれるパートナー」という望みを捨てられずにいたので、情に訴えてくるような言葉もよくぶつけられていました。
それを「私を求めている→愛されている」と変換すれば元に戻ったかもしれないけれど、そうしたところで未来はないのだと、私はもう知っていました。
こうして最後まであがき切ったとき、明確になったことがあります。
「報われたい」という気持ちこそ、最大の他人軸。
ついに私は離婚を決断し、この手で報われない自分を捨てる覚悟を決めました。
-自分軸で出した答えがつくった未来
あれから半年が経ち、私を取り巻く世界は確実に変わり始めました。
上京した時点では20年振りに筆を取るようになるとは全く考えていなかったんです。
それがこうやってコラムを書かせてもらっているのだから人生不思議なもの。
でも、自分軸で生きると決断した人には、必ず起きる不思議でもあると思っています。
もし、相手がこの先も変わらなかったとしたら、あなたはどうしたいですか?
その答えが何にせよ、あなたが自分軸で出した答えは自分を愛する未来を作るもの。
その未来で、あなたにはどんな不思議が起きるでしょうか。
次回は1月31日(水)に更新です。