「発達障がい」は個性を正確に捉える"資料"にすぎません。

今回は、オンラインセミナーの感想でもいただいておりました「発達障がい」についてコメントさせていただきますね。

「発達障がい」

これはかなり多くの方が併せ持っておいでだと思っています。

私の家族も「ああ、あの子はこれだな」と思うところがあります。

私は子どもの頃、自分のことを「瞬間沸騰器」だと感じていました。

言葉を聞いて瞬間的に興奮して抗議してしまう…。

「この沸騰器、何とかならないかなぁ」と、何度自戒の念を抱いたか分かりません。

私の周りでも、特に六十代、七十代の方は多いですね。

うわお、こんな肩書のある方だけどこの方は完全にあれだあ!

過去にも書いたように、「みんなちがって みんないい」を実現させるためには、個々を正確に把握することが大切です。

「発達障がい」の勉強は、そのための資料にすぎません。

それは、前回ご紹介した「ザ・メンタルモデル」の解釈と同じです。

レッテルを貼るためのものではなく、捉え方や対応の仕方を判断するときに使う資料みたいなものです。

こんなご意見も頂戴しております。

「『自分の手に余る=発達障がいを疑う』という図式ができてしまっているようにも感じ、危機感を抱いております。単に自己主張が激しい甘えん坊なのではと思うこともあるのです。」

そんなケースもあると思います。

実際私も、こんなくらいで「うちの子は集団に馴染めないので自閉的傾向があると思うんですよね」「よくしゃべるし、ウロチョロするし、うちの子はADHDかなと思うんです」なんて言ってたら、みんな発達障がいだわと思うこともありました。

基本、子どもは落ち着きないもんだしねと。

しかし、「まあ、これは発達障がいだろうな」と思うこともあります。

でも、その時は頭の中で分類し、適切な対応を見いだすのに参考にするだけで、傍から見てもあまり分からないように集団の中で育てていきます。

すると、特性が軽減され、集団に適応できるようになるんですよね。

だから私は「発達障がい」というものは、そのトリセツを頭に入れておけばよいのであって、レッテルを貼るためでも薬の処方を必要とするものでもないと思っています。

滋賀大学名誉教授の窪島務先生が発達障がいの本質は「真面目・優しい・一所懸命」であり、行動の未熟さがその本質を分かりにくくしている、と仰っていることに賛同しております。

これについてはセミナー中もお伝えしたようにSKCキッズカレッジ手記編集委員会編集の「“安心と自尊心“を柱に」をご参照されるといいかと思います。

水野谷塾に来ている支援級の中三生。学校の先生も親御さんも天才であることに気付いていませんでしたが、私と関わって三年目の今年七月、漢検二級合格し、十月には準一級を受験します。

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