【インタビュー】三途の河を渡りかけた「栃久保奈々」の圧倒的な人生観。へんな香りに包まれて死にたくない

第二章

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これまでで一番嬉しかったことはなんですか?

奈々さん:

コロナ前、会社やグループ向けに、海外での学生向けスタディーツアーへ同行していたんですけど、

登校拒否をしていた子が、開花して帰国後は学校へ行き出すとか、日本で居場所がなくて絵ばっかり描いてた子が、海外では絵がコミニケーションツールになると分かってすごく明るくなるとか、

そういう変化を見られたのがすごく嬉しくて。

ホームステイに行った次の日から人格が変わった子もいましたよ。

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プライベートの方はどうですか?

奈々さん:

人生においてプライベートがあまりないんですよねー。

結婚も出産も、交通事故みたいなもんなんで。笑

あ、でも1回離婚した両親が5年後に復縁したの嬉しかったですね!

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これまでの人生で一番大変だったことは?

奈々さん:

26歳の頃、会社でものすごく大きな騒動がありまして。

(こちら、詳細は省略させていただきますが、その様相はまさに「リアル半沢直樹!」でした。 by 編集長)

その時に、心身が限界になり転職活動をしたんです。

当時、いろいろなお客さんに「独立した方がいい」と言われていたんですけど、直近の思い出が半沢直樹じゃないですか。笑 

だから、独立しても、暗黒なことしかなさそうだなと思ったんです。

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それで企業への転職を?

奈々さん:

はい、マーケティング会社の人事に採用されました。

そこの面接の時に、リアル半沢直樹の一件も洗いざらい話して「こういうことがあったので正直、転職するのが怖いんですけど」と言ったら、「全然大丈夫だよ、おいでよ」と仰ってくれて。

でも、内定をいただいたあとに脳腫瘍で倒れたんです。

同時進行で、プライベートも両親の結構な離婚劇があり。。

(こちらも詳細は省略させていただきますが、何度も「昭和の演歌ですか?!」と突っこんでしまいました。 by 編集長)

本当に暗黒期でした。

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脳腫瘍になったんですか?!

奈々さん:

日本橋の駅で倒れて運ばれたんです。

幸い、悪性にならない腫瘍で、鼻から管を入れて腫瘍を取ってもらい2週間入院しました。

脳の治療中だったので携帯も使えなくて、会社側は「内定承諾した人、連絡がつかない。どうした?!」という状態だったようです。

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20代で脳腫瘍なんて、なかなか聞かないですよね。

奈々さん:

著書にも書いたんですけど、脳外科に入院したときに、病棟に2.30代の方がたくさんいたんです。

こんな働き盛りの若さなのに亡くなる人も多くて。

わたしも27歳で友達を1人亡くしてたので。。

「わたしは生きてて、亡くなる人もいて、なんなんだろう・・・」と思ったときに、もっと働く人のためのアプローチできることを学ぼうと思うようになりました。

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それでヨガインストラクターに?

はい。

通っていたヨガスタジオでちょうど先生が足りないって連絡ももらっていたので、インストラクターとして勉強して、土日だけヨガスタジオで働いていたんです。

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そこがヨガインストラクターのスタートなんですね!

それで30歳から独立を果たすのですね?

奈々さん:

今まで会社を支えていた屋台骨の人たちが一斉に辞めることになったタイミングで私も辞め、独立しました。

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ところでヨガの勉強はどうやって?

奈々さん:

最初は日本で勉強して、そのあとハワイでアメリカ式のヨガを学びました。

でもアメリカのヨガって、美容重視、見た目重視で、「なんか違うぞ!」「今の日本はこれじゃダメだろ」と思って。

「やっぱ行くか、インド」となり、インドでもヨガを学びました。

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意外でした!先にインドでヨガを学ばれたのかと。

奈々さん:

ヨガが日本に入ってきたルーツを辿ったという感じです。

インドでヨガを学んでて「こんな生活をしています」みたいなのをFacebookにあげてたら、それを見てくれた知り合いが声をかけてくれて、とんとん拍子に日本ユースリーダー協会と契約することに。

いつもこうやって、いろんな人から仕事がつながっていきます。

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奈々さんは今、お香の仕事もされていますよね?

奈々さん:

私、脳腫瘍のことも含めて三途の川を3回渡りかけているんです。

なのでお香に手を出したのもそこがあって。

へんな香りに包まれて死にたくないじゃないですか。

だからあらかじめ死ぬ前に、自分が死ぬときに焚く線香の香りくらい決めておこうよ、みたいな。

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私よりあとに生まれた方とは思えない人生観に圧倒されます。

奈々さんにとっての「自由」って何ですか?

奈々さん:

私、あまり自由って思ったことがないのですが。。

1983年に出版された『メメント・モリ』という写真集の中に、「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というフレーズがあるんですね。

そこには、ガンジス川のほとりで人が犬に食べられる写真が掲載されていて、発売当初は多くの日本人が衝撃を受けたんです。

でも所詮、私たちっていずれ死ぬわけで、最後に行き着く先はみんな同じなんだから、好きなことをやったらいいんじゃないかなって思います。

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逆に奈々さんは「不自由」って思うことはありますか?(編集長)

不自由がないと自由って感じられないですよね。

例えば今みたいに子育ての合間に、「一部の時間が自由になる」とか、「会うべくしてお会いできる方達とお会いしてる」っていうのが自由なんじゃないかなって。

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どんな状況や、制限があっても自由は見つけられる?

あ、そうですね。

むしろ制限がある中で見つかるのが自由なんじゃないですかね。

それこそ前澤さんくらい制限がないと、自由すぎて自由って感じないんだろうなって思います。笑

取材 ・加藤智子

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