
前首相の銃殺事件があった翌日、Windys編集部は、普段からホピ族の方と親交のあるセドナのナナさんへ、このような連絡をさせていただきました。
今、多くの日本人が平静を装いながらも気持ちが落ち着かない状況にいると思います。その一方で、今こそ腰を据えて日本人としての生き方を再考するときだと、多くの人が感じているように思います。もし良かったら「日本人が忘れてしまったホピ的感覚」をテーマに、これから私たち日本人がどう生きていくべきか、ナナさんのお話を聞かせていただけませんか?
唐突な申し出であったにも関わらず快く引き受けていただき、今回の連載が実現しました!
ホピ族の教えを通し、私たちがこれからどう生きるべきか、一緒に考えていきませんか?

今、ある宗教団体に注目が集まっていますが、私たちは何に注目しても「分裂」というものにフォーカスさせられてしまうように思います。
ロシアとウクライナの戦争にしてもそうですね。
ウクライナを応援するのはいいのだけど、そうすると自然にその人たちは「反ロシア」ということになり、やはり「分裂」してしまう。
どんなことであっても本当に気を付けて見ていないと、「誰かを敵にする」という意識が自分の中に植え付けられてしまいます。
でも、唯一の敵というのは、私たちの中にある「恐れ」なんだと思うんです。
マインドが作り出す幻想の「恐れ」
「恐れ」には二種類あると思っています。
一つは「本能からくる恐れ」。
これは私たちのガードマンです。生きていく上で必要不可欠な恐れなので、上手に付き合っていくしかありませんね。
もう一つが「マインドが作り出す幻想の恐れ」。
これは私たちのマインドが作り出しているので、場合によってはマインドコントロールに使われる恐れもあります。
もっと噛み砕いて言うと、
「こっちに行くとやばいかも?」というのが、私たちを守ってくれる本能からくる恐れ。
「こうしないと受け入れてもらえない」というのが、マインドが作り出す幻想の恐れ。
そして、マインドが作り出す恐れというのが、私たちの本当の敵です。
「恐れ」は何も生み出さない
究極的なことを言ってしまえば、「愛」か「恐れ」しかないんです。
だからこそ、自分は「愛」を中心軸に行動できているかを常に見極めること。
例えば、襲撃事件の容疑者である彼が愛を中心に物事を考えることができていたら、どうだったでしょうか。
お母さんのことがあったとしても、「そこから自分は何を学んだのだろう?」と、自分への愛に変えていくこともできたかもしれません。
でも「恐れ」を中心に動いてしまうと、自分の中に被害者意識を産み出してしまう。
そして、妬みや嫉妬や怒りという感情に飲み込まれてしまう。
もちろん、愛ゆえに一見「怒り」に見えるような厳しい態度にでることもありますよね。
ただ、恐れをもとにした怒りは何も生み出さないんです。
しまいには戦争、、ということになってしまう。
見せかけの愛を押し付けられないために
自分の言動は今、「愛」を中心にしているのか「恐」れを中心にしているのか。
常にそうやって自問自答できる自分を作っておき、想念を観察することができていれば、洗脳とかもされないと思います。
恐れを中心軸にしてしまうと、見せかけの愛を押し付けられてしまいます。
被害者意識になっている状態だと、優しくしてくれる人にふっと行ってしまうこともありますから。
「これを信じれば幸せになれる」という類のものは、一見「愛」に見えたとしてもやっぱり「恐れ」にフォーカスしていますからね。
愛の軸からブレてもそれに気づけばいい
私たちは人間だから、ブレることもあります。
でもそれはいいんです。
ブレたことに気づけばいいんです。
例えば「友達にひどいことを言ってしまった」みたいなことがあったとしても、それに気付けることが大事。
気づいたら、謝ればいい。
そして、自分がどんな「恐れ」を持っているのか、観察してみればいい。
どんなに世界が不穏な状況になったとしても、「愛」か「恐れ」かの判断軸を持っておけば、ぶれない自分を保ことができるようになるでしょう。
それはホピの預言の岩の教えにも表されています。
つづく。
次回は、ナナさんがホピ族の友人から預かっている、あるメッセージについてご紹介します。
◆『ヴィーガンを考える』