セドナから自分と繋がるメッセージ

セドナのナナさんから届いた、日本の女性が本当の自分との繋がり自由に力強く生きていくための珠玉のメッセージ。

写真からでも音声からでも文章からでも、あなたのそのときの気分で受け取ってくださいね。

-私たちが「満たされない」理由-

豊かさとは「足るを知る」ということです。

何を持っていても「満たされない」というのは、自分がいただいている状況に対して感謝の気持ちがないということ。

ネイティブアメリカンの教えでは「祈りとは感謝である」と言われています。

日本人は「祈り」というと、神社仏閣に行ってお賽銭を投げて、自分の願いを叶えるために祈る、という感覚が大なり小なりあると思います。

でも、祈りというのは感謝でしかない。

「願いを叶える」ということが素晴らしいことなのではなく、すでにいただいている状況に感謝を見出すのです。

だから「満たされない」というのは、すでに今、自分にいただいている状況というのが見えていない、ということ。

-もしも願いごとをするのなら-

ネイティブアメリカンの長老は、もしも願いごとをするのであれば、神への100%の信頼が必要だと教えてくれました。

それは、ニンジンの種を植えるようなものだと。種を植えたらそれが育つことを信じて水をやり、いちいち掘り返したりはしないだろう?と。

願いの種も同じなんです。

100%信頼して、自分がやるべきことをやればいい。

「願いを叶える」というのは宇宙に「自分がこういうことをしようと思っています」ということを宣言することなんです。

棚からぼた餅のように、どっかから、もらえるものではないということですね。

そして、一度願ったあとに何度も何度も同じことを願うのは「神を信頼していない証拠」ということ。

-「神」と「我」-

「神」とはどういう存在なのかというと、自分のいのちの中にある神聖な力、だと思います。

神社の奥には鏡がありますよね。

「鏡(かがみ)」という音霊を見てみると、真ん中に「が(我)」があるということなんです。

その「が(我)」というものを取り除いたときに残っているものは「かみ(神)」。

「我」というのはあってもいいのです。その「が」というものを経験するために、私たちは生まれてきているので。「我」が悪いのではありません。

だけれども、自分の「我」というものを取り除いたときに残っている、自分のいのちの中に存在している神聖な力というのが「神」なんですよ。

ニンジン(願い)の種をまいて、やるべきことをやっていれば絶対に収穫できるのだと、ネイティブアメリカンの長老はおっしゃいました。

なのに、「芽が出たか」「芽が出たか」と掘り起こしていたら、そのニンジンの種は死んでしまいますよね。

-祈り、行動し、道を開く-

だから、「願掛け」はなくて、本来の祈りを取り戻す、ということです。

祈りを日々の糧としてほしいと思います。

自分が今こうして生かされているということ、「ない」ものではなくて、いただいているものに感謝すること。

すでに満たされている状態なんだということを知る、感謝する。

もちろん、足りないこと、夢は追ってもいい。

「夢を追ってはいけない」ということではなくて、一つ一つに感謝するのです。

「こうなりますように」ではなくて、「こうなりたいと思っています。だからそこに進んでいきます。サポートをお願いします」みたいな感じだったらいいと思うんです。

棚ばたじゃなくて自分が行動するから来る。それが「引き寄せ」ですね。

まずはビジョンを持って行動する。

思った通りには進まないかもしれないし、起きた状況によって、臨機応変に変えなくてはならないこともあります。

でも、何があったとしても感謝は忘れない。どういうことが起こっても、感謝できる何かを見いだす。

そうすれば、結果的に道は開けていきます。