【インタビュー】お産の体験を宝にする助産師「猪俣友子」。欲張りに母子と向き合い続けて32年

「私は、ママたちが自分を肯定できていければいいなって思っています。

妊娠・出産・育児っていうのは、強烈な体験です。

でも、後なったら『良かったね、がんばれて。』という未来が必ず先にある。

だから、しんどくて命をやめちゃうとか、そういうふうにならないように、お産という素晴らしい体験をママの「宝」にしていきたいんです。」

18歳で産科の世界に足を踏み入れ、今や取り上げた赤ちゃんは2300人超え(毎月記録更新中)。

現在は、病院でのお産に携わるかたわら、2005年に自身の治療院を開業。「おっぱいマッサージ」や「鍼灸」を通して産後ママのケアも行う日々。

治療院は、産後うつ、産後のセックスレス 、分娩のトラウマなど、さまざまな悩み事を抱えるママたちの駆け込み寺でもある。

情熱の源は「人の役に立つこと」

座右の銘は「人生は酒のネタ」

性格は「猪突猛進、前しか見ない」

目の前にいる困っているママと正面から向き合い続け、気付けば唯一無二の存在感を放つ助産師になっていたのは、本人曰く「欲張り」だからだそう。

今回のインタビュー連載「翼を広げた人」では、産後ママの救世主とも言うべき「猪俣友子」さんのご登場です。

矢印

今の「助産師・猪俣友子」のルーツは、看護師であったお母さま。お母さまは三人の子どもを産んだあと、看護学校へ通い看護師になりました。

私は末っ子だったんです。だから熱をだして保育園に行けなかったときは、看護学校に一緒に連れて行かれました。

その後、お母さまが外科で働かれるようになってからは、待合所やレントゲン室が猪俣さんの「遊び場」になりました。

ずっと臓器のホルマリン漬けを見てたり、レントゲン室のお兄さんが暇な時は中に入れてくれたり。あと、看護師さんが包帯をまくのをお手伝いしたりしていたんです。

幼い頃から"現場"にいた猪俣さんにとって、看護師になるのは当たり前の感覚に。でも当初は産科ではなく老人看護の道に進もうと考えていました。

小学校の担任の先生に『先生、老人になったら私が介護してあげるよ』とか生意気な口をたたいたりして。そんな子でした。

高校卒業後は准看護師学校へ入学し、働きながら看護師を目指すことになった猪俣さん。そこで、産科と運命の出逢いをはたします。

産科に興味があったわけじゃないのに、高校の時に紹介された産科の求人にピンときて。

高校の制服を着てそこの面接に行ったら、おじいちゃん先生が新生児を抱っこして面接をしてくれたんです。

初めて生まれたての赤ちゃんを見て、その可愛さにびっくり。一瞬で『赤ちゃん大好き!!』という気持ちが湧き出て、とんとん拍子にそこで働くことになりました。

その後、先生が赤ちゃんを抱っこしながら採用の面接をする様子は一度も見られませんでした。

なんで私の時に、抱っこしてたかわからないんですけど。ご縁があって私は赤ちゃんを見せてもらって。(産科への)不思議な誘導のされ方というか。

猪俣さんが就職した産科クリニックはスタッフの人数が少なく、新人であっても何でもかんでもやらなくてはいけないところでした。

そのため、若干18歳から分娩や帝王切開手術のサポートにも入ることに。(※その後、法改正が行われ、現在は、分娩には助産師資格が必須となりました。)

そこは『早くいろんなことをやりたい!』と思ったことを叶えられるところだったんですよ。

当時私はただの18歳だけど、それはママさんに言えないじゃないですか。

だから、さも自分は30歳のベテランかのように振る舞って、若いときから経験をたくさん積みました。お産を怖がっているママの前で、私まで一緒に怯えるわけにもいかないので。」

そうは言っても、やはりまだ18歳。大きなストレスやプレッシャーが猪俣さんにのしかかりました。

最初は、ストレスアトピーみたいなものが出ました。だけど、強くなるしかないじゃないですか。

怖がって逃げるよりかは、お産の原理原則を自分に入れちゃえば怖くなくなる。だから早く習得してしまえばいい。そんな風に考えて、乗り越えていきました。

分娩が大好きな猪俣さん。

月に何回もの夜勤をこなしながら、おっぱいマッサージのスキルも磨き、さらには鍼灸師の資格を取得。ついには、自身の治療院を開業するまでに。

とにかく次々、目の前に差し出されてくるんです。何か私に助けて欲しい人が。ひとつ解決すると、次はこれで、次はこれでって。

そうしているうちに、例えばセックスレスだとか、いろんなところの引き出しが増えてちゃって。分娩のトラウマ外しもできるようになってきちゃって。

人からしたら、すごぐ勉強してるかもしれないけど。私からしたら楽しくて猪突猛進しているだけ。

前しか見ない猪突猛進的な性格であるという猪俣さん。ちなみに苗字には「猪」が入り、干支は「イノシシ」だそうです。笑

そんな猪俣さんを突き動かす原動力は、「猪突猛進」だけじゃないんです。

目の前の困った人に自分の価値が無いほど、つらいことはないです。今初めて気づいたけど、私には『役に立てる自分でありたい』というのが根底にあるのかな。

人の役に立つために、すごく欲張りな自分がいます。私の好奇心の元は欲張りですね。

分娩のトラウマのせいで「もう二度と出産したくない」という声もよく聞かれる昨今。

産むのは1人でもいいけど、その産んだ1人の分娩を肯定させてあげたい。しんどかったかもしれないけど、お産という素晴らしい体験は、あとで絶対宝になるって。

だから、お産で何を感じてどう嫌だったのかということを一つひとつ拾って、専門家として教えてあげるんです。私の感情じゃなくて。そうすると、ただの勘違いだったようなことにも、気づけるから。

妊娠・出産・育児という過程で、足を止めざるを得ない何かに出会ってしまうことがあります。そんな時は、つらかったり、大変だったり、いろいろなことが頭をよぎるかもしれません。

立ち止まったりとか、後ろ向きになったりした時、私みたいな人もいるって思い出してくれればと思っていて。もちろん、私だけじゃなくてもいいから、そういう"お守り"のような存在や居場所を見つけてほしい。

自分の相性が良いところがきっとあるはず。

そしてそれが専門家であれば、よりもっと確実に解決できることもあるから。

突き抜けている人は、人には見えづらい・言いづらいハードな局面も多いもの。

猪俣さんとてそれは例外ではなく、いくつもの壮絶な体験を乗り越えられています。

最後に、猪俣さんへ生き方の流儀を聞いてみました。

基本全て、人生は酒のネタづくりだと思っています。

友達と酒を飲むときに「こんなことあったんだけど、すごくない?」って言うのがあったらいいじゃないですか。

でもその内容が"普通"だと面白くない。笑

時間をかけて何かやったことや強烈な体験は、そう簡単に人が持てるもんじゃないから、酒のネタとしては最高ですよね。

だから人生をかけて、その酒のネタを自分で作りにいっているんですよ。

取材「加藤智子」

◆猪俣友子先生の連載情報

命の底にガツンと響く母親学級

編集後期

人生の転換期で自分のミッション(使命)に気づき翼を広げる人は多いですが、猪俣さんは最初からミッションを生きている人です。

インタビュアーの加藤さんと猪俣さんの、こんなやり取りが印象的でした。

「(加藤)どうして目の前に差し出されたものをそこまで試してみようと思えるのですか? なぜ、それができるんですか?『私がほしいのはそれじゃないから』って、機会を失っている人って多いと思うんです。」

猪俣さんの返答はたった一言。

欲張りです、全部。

ミッションを生きている人は、死ぬほど人に尽くしているのに、そこに義務感と悲壮感はなく、むしろ死ぬほど楽しそうです。

欲張りだと、そうなれるのでしょうか?!

私も、そういう欲張りさんになっていきたいと思います。

Windys編集長

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