【インタビュー】14歳からパラレルキャリアで活躍する「栃久保奈々」のモットー。働かないと病む?!

とうとうやってきた「風の時代」。

「常識」という名の見えない檻の中で、ずっとおりたたんでいた翼を広げ、自由な世界へ飛び込んでいくとき。

この連載では、すでにそうした生き方を体現されている「翼を広げた人たち」をご紹介いたします。

今回ご登場いただくのは、インド政府公認ヨガインストラクター・占術家・カウンセラーなどさまざまな顔を持ちパラレルキャリアで活躍されている「栃久保奈々」さん。

 

あなたの『自由の翼』でどこまでも飛んでいけるように、、その力となれますように。

-栃久保奈々の現在地-

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栃久保さんの現在の活動を教えてください。

栃久保奈々さん(以下「奈々さん」):

いまやっていることは、月によって違うみたいなところがあります。

あるときはヨガ一色で。また最近だとある会社さんから「ヨガのアプリの監修をしてほしい」ということで、それに携わっています。

普通のアロマとハワイのアロマと、インドのお香の勉強をしているので、それらの納品とかワークショップとかもときどきやってます。

とくに妊娠後期からは、体も動きづらくなってきたので、今までやりたかった「占い師の育成をする」ということも始めて。

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占い師の育成を?

奈々さん:

おもにタロットカードと西洋占星術を教えています。

意外にそこで見えたニーズが、お子さんと衝突されるケースです。

「家族との関わりをよくしたい」というニーズが、学びたいという人のなかにはあるんだなと。

どんな習い事さをせたら伸びるか知りたいとか、育て方の指針を知りたいという声があるなと、教えてみて気がつきました。

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まさにパラレルキャリアですね。

奈々さん:

日本人って、仕事ってひとつのことって多いじゃないですか。それか本業、副業みたいな。

でもインドの場合、ヨガの先生が星もみるし、儀式用のお香も調合するし、ときにはマッサージもするし、つまり「何でも屋」をやるんです。

私のなかでも、そういう働き方はとても自然で。

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日本人にはあまりない感覚ですよね?

奈々さん:

以前、私がどんなことをしてるっていうのをダーって喋ってることを高橋ナナさん(Windysクリエイティブディレクター)が

「ナナさんの生き方ってアーユルヴェーダですよね!」って、ひとことでまとめたんですよ!

すごいこの人!と思って。そんなことを言われたことがなくて、すごいなと思ったんですよ。

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生き方がアーユルヴェーダとは?

奈々さん:

それ前後の意味をたどると。

私がやっている「ヨガ」や「星読み」や「香り」って要は自然のものじゃないですか。

自分の体と自然と一体化して生きてるという感じのイメージで、「アーユルヴェーダみたいですね」になったのかなって。

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奈々さんのモットーはなんですか?

奈々さん:

「死ぬこと以外かすり傷」

それしかないですね。笑

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独立される前は人材系の会社で働かれていたのですよね?

奈々さん

はい、そうです。

わたし超貧乏だったんですよ、実家が。

就職氷河期時代に6社内定をいただいたんですけど、面談のときに「わたし、1000万はやく稼ぎたいんですよね、貧乏だったんで」って言うと

「うちならベンチャーだから行けるよ」と言われたのを鵜呑みにしてそこに決めました。

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ちなみに超貧乏とは、どれくらい...?

奈々さん:

小2のときに、祖父が家を担保に2億の借金をしまして。なので家を売っちゃったんすね。

そこから両親が借金を返済する生活が始まりまして。父が警察官だったので住むところはすぐに社宅にはいったんですけど。

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それはもう贅沢ができないですよね...

奈々さん:

そこから「うちは貧乏なんだ」という認識を持って。はじめて働いたのが14歳の時です。

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なにをしたんですか?新聞配達ですか?

奈々さん:

新聞配達もやりましたけど。

1番はじめは、すごい有名なコミケとかあるじゃないですか。コスプレイヤーさんの衣装を作る仕事、内職からです。家庭科が得意だったので。

「こういう仕事ががあるよ」って言われて、「やります!」って。

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その仕事はどこから舞い込んできたんですか?

奈々さん:

同じ学校に、他にも貧乏な子がいたんです。なんとかして仕事をとってくる子みたいな子がいて、紹介してもらっていました。

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14歳でそんなにもしっかりされて。なんでも当たり前に与えられた子とは違うものを見て生きてきたんですね。

奈々さん:

そっから多分、変人コースですよね。宇宙人コースに入って。その頃、弟も既にグレてますから。

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ドラマのような子ども時代を過ごされたんですね。

奈々さん:

常にそこからハングリーみたいな感じになって。

「金持ちを見返してやろう」みたいなところがずっとあったんですよね。

結局、大学受験どうする?ってなったときも、行けないから、学校にも「専門行ってパタンナーを目指します。手に職をつけます」って言ったんです。

でも学校が推薦をくれるというので、自分で通えそうな大学の学費を調べてみました。そして自分でなんとかできることがわかったんです。

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大学の学費はどうされていたのですか?

奈々さん:

入学金は親が出してくれましたが、あとは自分でバイトして稼いでいました。

学校には分割で払えるようにお願いして。

でも、そういう子いっぱいいたので、入ってみたら苦にならなくて。

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学費のためにキャバクラでも働いていたっておっしゃってましたよね?(編集長)

奈々さん:

そうなんです。1日に3つバイトを掛け持ちしてたら胃潰瘍で倒れて、20歳の時に。

先輩から「私がまえに働いてたキャバクラは安全だから、期間限定でもいいから、ばくっと稼いでこい!」と言われて、半年働きました。

就活のときにバイトできない分も、そのとき稼いで。

学生時代のバイトは、リクルートの派遣とかで結局44個ぐらいやりました。

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職業体験をたくさんされたわけですね?

奈々さん:

キャバクラでの経験も職業体験も、会社員の頃、人事の仕事をしていたときにすごく活きましたね!

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奈々さんはいつもバリバリ働かれているイメージがあるのですが、ずっと昔からそうだったんですね!(編集長)

奈々さん:

働かないと病むんですよ。

先日もお客さんと喋ってて「栃久保さん、夢って何なの?」って言われて。

過労死で死ぬか、どっかの国で野垂れ死にたいって答えました。(笑)

取材 ・加藤智子

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